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言問小学校
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言問小歴史絵巻

更新日:2011年4月1日

年    できごと・町の様子

昭和8年(1933)  本所区長が東京市長に学校設置の願いを出す。
昭和9年(1934)  東京市長が学校を作ることを認める。
昭和10年(1935)   この年の5月に、学校を作る場所が決まり、11月から工事が始まった。

工事の様子
工事の様子

昭和11年(1936)  この年の12月に校舎が完成。
昭和12年(1937)  2月1日、東京市言問尋常小学校として、牛島小と小梅小から児童を集めて開校した。校旗もこのとき決められた。
              ・中国との全面戦争が始まる。
昭和13年(1938)  第一回の卒業式が行われる。(卒業生209名)
昭和14年(1939)  11学級の高等科(今の中学校に当たる)「言問尋常高等小学校」が学校の中に作られる。
昭和16年(1941)  東京市言問国民小学校と名前が変わる。
              ・米が通帳制になる。
              ・防火用水(今のプール)が作られる。
              ・12月8日にアメリカやイギリスとの戦争(太平洋戦争)が始まる。

言問小学校のあゆみ 1 言問小学校ができたころ

言問小学校ができる前、この地域の子どもたちは小梅小か、今の本所高校の辺りにあった牛島小学校に通っていました。でも、子どもの数が増え続けたため二校とも教室の数が足りなくなってしまいました。
 そこで本所区(当時の墨田区は東京市の本所区と、向島町に別れていました)は新しい小学校を建てることにしました。こうしてできたのが言問小学校です。
 言問小は、鐘紡の重役だった和田豊治さんの屋敷跡に建てられました。当時はクレーンなどの機械はないので、ほとんどの作業を人の力でやりました。
 新しい真っ白な鉄筋コンクリートの校舎は、当時としてはとても豪華なものでした。関東大震災(1923年)から、まだ10年ほどしかたってないときだったので、火にも、地震のゆれにも強い丈夫な校舎は、地域の人から「白亜の殿堂」と呼ばれたそうです。

開校当時の朝礼の様子
開校当時の朝礼の様子

 言問小ができたとき、6年生は卒業が近いので、もとの学校に残りました。当時は各学年とも4クラスぐらいあり、全校では1041人の子どもがいました。
 新しい校舎には電動のこぎりやミシン、グランドピアノなど最新の道具・用具がそろえられていました。暖房も、熱い蒸気を教室へ送るスチーム暖房でした。今の教室の窓ぎわに、下があいているところがありますが、ここに昔は暖房機があったのです。
 校庭も当時の東京市の小学校としてはとても広いものでした。運動会が自分の学校でできると話題になり、見学者が東京じゅうから来たそうです。
 しかし、言問小が開校した年に起こった戦争はずっと続いていました。お米なども自由に買えなくなり、ぜいたくなことはできなくなってきました。戦争に備えるため、言問小にも防火用水をためる池が作られました。(この用水は戦後はプールとして使われました)

年    できごと・町の様子

昭和18年(1943) 東京府が東京都になったため、東京都言問国民小学校となる。
昭和19年(1944) この年の8月から213名の子どもたちが、千葉県君津郡へ集団疎開する。

疎開先の子どもたち
疎開先の子どもたち

昭和20年(1945) ・3月9日東京大空襲で、本所区のほとんどが焼ける。
            ・千葉に疎開していた子どもたちが岩手県江刺郡へ再疎開する。
            ・8月に広島、長崎に原子爆弾が落とされ、太平洋戦争が終わる。
            ・都立第七中学校が言問小の教室を借りて授業をする(昭和23年まで)

言問小学校のあゆみ 2 はげしくなる戦争の中で

 太平洋戦争が始まって、人々の生活はますます苦しくなりました。敵の飛行機が爆弾を落としに来る(空襲と言います)ので、安全のため、朝は集団登校になりました。敵の飛行機が来たことを知らせるサイレンが鳴ると、授業中でもすぐ家に帰ることになりました。子どもたちの命が危ないということで、田舎の親戚に子どもをあずけたり、町から引っ越す人も多くなりました。 昭和19年、言問小の3年生以上の子は、集団で千葉県の君津郡に疎開し、そこで暮らすことになりました。
 言問小の階段の手すりにあったかざりや、スチーム暖房機は、戦争に使うための金属として取られてしまいました。校舎が白くて大きな目立つ建物だったので、空襲の目標になると心配され、校舎のかべを地味な色にぬりかえたり、近くの工場を教室として貸してもらったりもしました。このころ言問小に通う子どもたちの数はわずか60人ほどだったそうです。
 昭和20年3月9日から10日にかけて、東京の下町に大空襲がありました。本所区は軍隊の物資を作る工場が集まっていたので、特に集中的に爆弾を落とされました。本所区のほとんどが焼け野原になり、小学校も小梅小と言問小以外は全て焼けてしまいました。卒業を間近にして、地域に戻っていた6年生も空襲に巻き込まれたそうです。
 千葉にいた子どもたちは、さらに安全な場所を求めて岩手県江刺郡(今は市)の黒石村にあった正法寺に再疎開しました。

年    できごと・町の様子

昭和21年(1946) 岩手に疎開した子どもたちが帰ってくる。
             ・日本国憲法ができる。
昭和22年(1947) 1月から学校給食始まる。
             ・本所区と向島区とがいっしょになり、墨田区になったため、墨田区立言問小学校と名前が変わる。
             ・新しい教育が始まる。
             ・キャスリン台風のため800人の人が言問小で避難生活をおくる。
昭和23年(1948) "墨田中学校に教室を貸す。(昭和25年まで)
             ・防火用水の池をプールとして使えるようにする。
昭和24年(1949) 寺島第一中学校の分校が置かれる。(昭和26年まで)
             ・PTAが作られる。

言問小学校のあゆみ 3 戦争が終わって

 昭和20年8月、長かった戦争が終わりました。次の年の3月には子どもたちも疎開先からもどってきました。しかし、食べ物も家を建て直す材料も不足し、苦しい生活が続きました。学校で勉強しようとしても教科書や鉛筆もありませんでした。
 それでも、言問小学校は校舎が焼け残ったため、授業が続けられました。(牛島小学校は校舎が焼けてしまったため、このとき廃校となりました。)
 昭和22年には新しい学校制度が始まり、中学校に全員が行くことになり、男女が同じ教室で勉強するようになりました。それまでは男女別のクラスがふつうだったのです。子どもの栄養不足を解消するために学校給食も始められました。本所区と向島区とが一緒になって墨田区になったのもこの年のことです。
 このころの言問小は、校舎が焼けてしまった他の学校に教室を貸していました。しかし、疎開していた子どもがもどってきたので、子どもの数はいっきに多くなりました。教室がたりなくなり、1,2年生は午前中に来るクラスと、午後から来るクラスとに別れ、一つの教室を2クラスで使うということもありました(二部授業と言います)

年    できごと・町の様子

昭和27年(1952) 開校15周年記念式典が行われ、校歌が作られる。
昭和32年(1957) 開校20周年記念式典を行う。
             ・図書室と理科室が新しくなる。
昭和34年(1959) プールが修理される。
             ・学童擁護員がおかれる。
昭和35年(1960) ・都営地下鉄1号線(浅草線)押上から浅草橋まで開通。
昭和37年(1962) 開校25周年記念式典を行う。
             ・校章と校帽が決められる。
             ・千代谷奨学金が設けられる。
             ・墨田区の人口が30万をこえる。
             ・プールと給食室が新しくなる。
昭和38年(1963) 「きこえの教室」ができる。
             ・PTA広報誌「こととい」創刊。
             ・校庭開放が始まる。
昭和39年(1964) ・東京オリンピック開かれる。
             ・向島請地町、向島須崎町が押上二丁目と、向島四、五丁目になる。

言問小学校のあゆみ 4 町の発展と施設の充実

 世の中が落ちついてきて、都電(道路を走る電車)が復活するなど、町の様子も戦争の前と変わらなくなってきました。
 町には工場が建ち並び、たくさんの人が働いていました。しかし、工場から出るけむりや排水のため、空気や川のよごれ(公害)も目立ってきました。両国の花火や、隅田川での早慶レガッタ(ボート)レースが中止になったのも川のよごれのためでした。 

創立20周年の式典の様子
創立20周年の式典の様子

 言問小の校舎も少しずつ良くなり、、給食室や放送室もこのころに整備されました。
 昭和38年、墨田区で一つしかない「きこえの教室」が作られました。窓を二重にした静かな環境で、今も通級指導が行われています。このころの言問小にはだいたい700人ぐらいの子どもが通っていました。各学年とも3クラスぐらいあり、今の会議室や視聴覚室などはすべてふつうの教室でした。

年    できごと・町の様子

昭和42年(1967) 開校30周年記念式典を行う。
昭和44年(1969) ・水戸街道を走る都電がなくなる。
昭和45年(1970) 校舎のかべがぬり直される。
              ことばの教室ができる。
              ・首都高速六号向島線開通。
昭和46年(1971) 中屋にローラースケート場が作られる。
昭和47年(1972) 開校35周年記念式典を行う。
              校門の左右の塀が生け垣になる。
昭和49年(1974) 校庭が舗装される。
昭和52年(1977) 講堂の中がきれいになる。
              開校40周年記念式典を行う。
昭和53年(1978) NHK合唱コンクールに出場。
              ・あわの自然学園ができる。
              ・早慶レガッタと、隅田川花火大会が再び行われる。

言問小学校のあゆみ 5 きれいな町と学校をめざして

 公害が大きな問題になると、工場でも公害を出さない工夫をするようになりました。他の場所へ移る工場もあり、墨田区の人口は少しずつへっていきました。
 植物を大切にする町作りの一つとして、墨田区内の学校のコンクリートのへいが、ツツジなどの生け垣に変えられました。
 また、小梅小など、戦争の前にたてられた校舎は次々と建てかえられました。しかし、言問小学校の校舎は大地震でも平気なぐらい丈夫だということで、そのまま残されました。だから言問の校舎は墨田区内でも一番古いのです。

生け垣に変わった学校のへい
生け垣に変わった学校のへい

 工場がへったり排水に気をつけたりして、隅田川の水は前より少しきれいになり、花火大会や早慶レガッタがもう一度行われるようになりました。

年    できごと・町の様子

昭和57年(1982) 開校45周年記念式典を行う。
昭和58年(1983) 教室と廊下の床を張り替える。
              校庭がソフトアスファルトになる。
昭和62年(1987) 開校50周年記念式典を行う。
              この年から翌年までに各教室にF・F暖房機が入る。

言問小学校のあゆみ

 開校45周年を過ぎたころから、教室の床のいたみがひどくなってきました。校庭もコンクリートのままでした。そこで。昭和58年の夏休みに、教室の床は今のようにはりかえられました。校庭もソフトアスファルトで舗装されました。
 暖房機も変わりました。昭和48年(1973)までは石炭を燃やすストーブだったのが、ガスストーブになり、昭和62年には、同じガスを燃やすものでも、より安全な、F・F暖房機(今もある物です)になりました。

年    できごと・町の様子

平成元年(1989) 年号が平成になる。
            校庭に防球ネットができる。
平成4年(1992) 開校55周年記念式典が行われる。
            特別教室にもF・F暖房機が入る。
平成6年(1994) 各教室にテレビハンガーが取り付けられる。
平成7年(1995) 60年ぶりに学校の水道管が全部取り替えられる。
平成8年(1996) 開校60周年記念式典が行われる。
平成9年(1997) 校舎の南側が改修され、きれいになる。
平成13年(2001) 開校65周年記念式典を行う。
             コンピューター室ができる。
            校舎の北側が改修され、きれいになる。
            理科室が改修される。
平成14年(2002) 給食が民間委託となり、ランチルームが作られる。
             校庭が改修され、ソフトラバーがはられる。
平成16年(2004) 冷房が教室に取り付けられる。
平成17年(2005) 中屋にビオトープが完成する。
            普通教室にエアコンが設置される。
平成18年(2006) 開校70周年記念式典を行う。
            図書室・給食室が改装される。
            トイレが改修される。
平成19年(2007)特別教室にエアコンが設置される。
平成20年(2008) 研究発表会を行う。「ふれ合おう・伝え合おう・認め合おう −よりよい人間関係づくりを目指して−」という主題のもと、人間関係構築力の育成に努める。
平成21年(2009) 学童クラブ言問分室が設置される。
             プールの改修工事が行われる。
平成23年(2011) 開校75周年記念式典を行う。
            耐震補強工事が行われる。
平成26年(2014)全トイレが改修され、きれいになる。誰でもトイレも増設される。
平成27年(2015)校庭改修を行い、一部が芝生化される。
            災害用トイレが設置される。
平成28年(2016)開校80周年記念式典を行う。
            全教室にICT機器が設置される。

言問小学校のあゆみ 6 新しい時代をむかえて

平成に入って、言問小では学校の施設の改善が進みました。教室のテレビは天じょうからつり下がる新しい物になり、ビデオも教室に入りました。水道管も新しくなりました。開けにくくなった窓はアルミサッシになり、校舎の外側は開校当時のように真っ白にぬり直されました。

アルミサッシが入った校舎
アルミサッシが入った校舎

 令和を迎えた本年度、言問小学校に通う子どもの数は8学級・237名になりました。これまでの83年の本校のあゆみを支えてくださった地域の方々がいつまでも誇りに思えるような学校であり続けたいと思います。

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言問小学校

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